庶民的不妊録

生活が不安定なのに不妊治療沼にはまる夫婦の漫画ブログ

【採卵7回目3】フォロー

7回目の採卵から4日目。

田熊は受精確認を翌日に控え、まったく集中できないポンコツ状態で最低限の仕事をこなしていました。

 

その日、社長から従業員全員(と言っても10人程度)に話があると皆が集められ、総務を担当していた女性が事故で意識不明重体、職場復帰は絶望的、という知らせを受けました。

 

従業員全員ショック状態で驚嘆する人、泣き出す人、理解が追いつかず聞き直す人とその場でパニックが起こりました。

社長はみんなを落ち着けて、総務さんの容態の説明をしたあと、涙目になりながら田熊の方を向き、

「総務さんがやっていたこれとこれと、この仕事をやってもらえるかな?」

と言いました。

 

受精確認前ポンコツ頭に総務さん重体の衝撃、からの引き継ぎなしの未知の仕事を振られ頭の中が「え????????」という何も考えられない状態に陥りましたが、そのシチュエーションで断れるはずもなく言われるがままに総務さんがやっていた仕事をいくつか引き受けました。

 

会社で急遽欠員が出た際に周囲の人間がフォローしなければならないのは致し方ない状況であると思います。

ですが当時自分の抱える業務さえキチキチのスケジュールでこなしていた田熊は、総務さんの仕事を振られた瞬間、

「とうとうフルタイム正社員と不妊治療両立の限界がきた...!」

と悟りました。

 

【採卵7回目2】久々の麻酔

2023年9月、田熊は無事7回目の採卵を終えました。

卵子は12個採れて田熊にしてはまずまずの結果でした。

が、麻酔後の体調不良がすごい。

前日の絶飲食開始時間直前まで水分を十分摂り対策はバッチリしたはずだったのですが、久しぶりの麻酔だったからなのかなんなのか、家に帰って寝ても目眩と吐き気と胃痛がおさまらず、体調不良は翌朝を迎えても続いていました。

 

その日は会社に出勤する予定だったのですが起き上がって働ける気もせず、総務の方にLINEでお休みしたい旨を連絡してそのまま寝てしまいました。

 

 

【採卵7回目1】会社


2023年9月。

田熊は2周期のリフレッシュお休み期間を経て、7回目の採卵周期を開始しました。

薬なし通院なしの日常生活と旅行によって心身ともに健康を取り戻し、再開した毎日の自己注射を無の感情でこなし、ホルモンによる体調不良も穏やかにやり過ごしていました。

 

そんなある日、会社で仕事をしていると社長に声をかけられました。

「田熊さん、10月に3日間出張行ってもらいたいんだけど」

 

田熊は一瞬、フリーズしました。

10月の治療がどうなっているか9月時点で全く読めないし、採卵⑦がうまく行っても行かなくても、その3日間に通院日が当たってしまう可能性はあるのでした。

田熊が渋々

「治療の関係で、難しいです」

と答えると、社長は眉間に皺を寄せて

「えーダメかー」

と困った様子で去っていきました。

 

また別の日。

総務の人に、次週おそらく採卵のためどこかで会社をお休みしますと話をしたところ、

「代わりに別の日に出勤してくれる?」

と言われました。

またも田熊は一瞬どういうこと?有休使っちゃダメってこと?とわけがわからず止まりましたが、

「わかりました」

と答えてその場を後にしました。

 

人工授精へステップアップするタイミングでの退職を考え会社に相談した際、退職せずに治療を優先できるよう出張をなくし、いつ休んでも仕事に穴を開けなくて済むポジションにまわしてもらってからはや一年と半年。

これは田熊の憶測でしかありませんが、会社側としては不妊治療がそんなに長期間続くものだと思っていなかったのではないでしょうか。

そしていつまでも成果の出ない治療を理由に出張に行かず有休も使いまくる田熊に不満を抱き始めたのではないでしょうか。

 

仕事と治療を頑張って両立しているつもりでしたが、その状態はもう長くは続けられなさそうであることを悟ったのでした。

 

 

 

【気晴らし旅14】体調

2023年7月。

不妊治療をお休みして箱根旅行に出かけたおっくんと田熊。

名神社には行かなかったものの、大涌谷彫刻の森美術館など主要観光スポットをめぐり、美味しいご飯を食べ、温泉に浸かり、夏の箱根を満喫しました。

 

そして箱根湯本で食べ歩きをしている時に気づきました。

 

体調が、良い。

 

たくさん歩けるし、たくさん歩くとお腹が空くからたくさん食べられる。

疲れはするけれど座ってソフトクリームでも食べながら休めば回復してまた歩ける。

 

それらは田熊がいつの間にか忘れていた通常時の健康体の感覚でした。

そこで初めて、採卵と移植をノンストップで繰り返していた4カ月の間、体調悪いのがデフォルトになっていたことに気づいたのでした。

 

身体の健康を取り戻した田熊の心は一気に前を向きました。

保険適用内で移植できるのはあと2回。

そこまでは頑張って、それでできなければ子どもはスパッと諦めて箱根にでも移住しよう。

できるだけ理想の家を見つけて、仕事も見つけて、おっくんと二人で旅行したりしよう。

健康体なら家探しも引越しも転職もなんだってできる!

 

本来なら、1カ月でも若い卵子を得るために採卵を繰り返すべき35歳目前のタイミングにして不妊治療を休むことに、当初は少なからず迷いがありました。

しかし、結果論ですが、このお休み期間は田熊にはとても良い効果をもたらしたのでした。

【気晴らし旅13】箱根

2023年7月。

不妊治療に疲れた田熊はお休み期間をとり、おっくんと箱根旅行へ出かけました。

 

箱根といえば、関東屈指のパワースポット「箱根神社」と「九頭龍神社」があります。

ちょっと前の田熊だったらご利益をいただくために必ず立ち寄ったでしょう。

が、しかし、これまで「最強」と言われるパワースポットを複数めぐってきて得た結果は胚盤胞移植4敗。

もうあえて箱根ではパワースポットへ行かないことにしました。

 

箱根神社を参拝したあと海賊船で芦ノ湖を渡ってくる大勢の外国人観光客を、あひるボートから手を振って出迎えるという遊びをして過ごしました。

【気晴らし旅12】休憩

田熊は移植④陰性宣告を受けた直後、頭の中で冷静に、不妊治療を休憩することを選択しました。

側から見れば、35歳の誕生日まであと半年を切り凍結胚のストックもない状態なら、1カ月でも若い卵子を摂ることが最善のように考えられますし、田熊もそのことは理解していました。

ですが、採卵と移植を連続して行ってきて、完全に己のメンタルの限界が見えていたのでした。

季節は夏。

しかも酷暑。

前年の暑い最中でのホルモン補充と採卵を思い返しても決して万全だったとは言えず。

7月、そしてクリニックのお盆休みがある8月と2周期見送ることを決断しました。

 

そして恒例の気晴らし夫婦旅へ出かけることにしました。

【胚移植4回目3】子連れ


移植④の陰性を塩先生に告げられた田熊。

ショックはショックでしたが3回目までのズシンと重いものとは異なり診察室を出る頃には、なんだかそうなる覚悟がすでにできていたのかもしれないと考えたりしていました。

陰性宣告を受けるのも慣れたもんだわと待合室に戻った田熊の目にある光景が飛び込んできました。

 

待合室のソファに、幼児いる............!

 

田熊の通う不妊専門クリニックは子連れ禁止ではないのですが待合室に「内診・処置の際はお連れのお子様は一緒に入室できない」旨の張り紙がしてあったのでそこまでウェルカムでもなさそうだなという印象を抱いていました。

そして田熊は仕事終わり18時以降に行くことが多かったので同じように仕事終わりらしい成人女性と一緒になることがほとんどで、それ以外ではパートナーの方と一緒に来たのであろう成人男性をチラホラ見かけるくらいでした。

ですがその日は田熊は仕事を休み平日の午前中にクリニックに来ていたため、それまで1度もクリニックで見たことのなかった子連れの方に遭遇したのでした。

 

待合室には母子と田熊しかいませんでした。

その瞬間、妊娠出産までたどり着く能力が一度でも証明されている人と、4回目の移植がダメだったことを今さっき告げられた人という田熊にとって世界一惨めな対比図が生まれたのでした。

 

移植連続敗北している人とか流産手術後の人とかがわらわらいる不妊専門クリニックに幼児を連れてくる人っていったい...

それまで遭遇したことがなかったのにあえてこのタイミングで子連れin不妊専門クリニックに遭遇する田熊の不運がいけないのか...

女性は緊急で預け先がなく仕方なく連れてきたのかもしれないし...

二人目不妊だとしたらその女性も田熊と同じくらい大変な治療をしている可能性もゼロではないし...

そもそも田熊が陰性宣告直後に子連れ見てショックを受けているというのは完全に田熊だけの都合であってその親子には関係のないことだし?

 

先ほどまでの「今回の陰性そんなにショック受けてないかも〜」という感想が一瞬で吹き飛び、惨めさと苛立ちと疑問と道徳心とが脳内でせめぎ合いました。

頭の中でパニックを起こしながら知らぬうちに田熊が幼児をガン見してしまっており、それに気づいた女性が明らかに申し訳なさそうに焦っていることに気づきました。

 

田熊は幼児から目を逸らし、おそらく険しい表情のまま待合室の壁紙を凝視し、会計で呼ばれるのを待ちました。

 

このことがあったおかげ(?)で、陰性に慣れちゃったかもなんていうのは惨めさを受け入れられない故の誤魔化しで、「4回も陰性でショックを受けないわけがないだろう」と自分の気持ちを直視することができたのでした。